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kyupinの日記 気が向けば更新 (精神科医のブログ)

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2017年8月

2017年8月23日 (水)

【31】需要はつくりだすもの

本田宗一郎 100の言葉
第2章 経営

需要がそこにあるのではない。
われわれがそこに
需要をつくりだすのだ。

 戦後、「傘」の需要は非常に高かったが、あらゆる業者が生産
に乗り出し、たちまち供給過剰になって、メーカーは倒産に追い
込まれた。

 しかし、そこで「折り畳み式」の傘が考案されると、需要のな
くなったはずの傘は再び売れ始めた。

 食品のように一定の需要があって供給がリードされるものもあ
るが、これとて革新的な食品の発見があれば、どのような関係に
なるか分からない。

 要は需要をつくりだすのはアイデアだということであり、それ
は市場開拓の本質の的を射た言葉である。

別冊宝島編集部 偏

2017年8月21日 (月)

【30】「歩」を使う

本田宗一郎 100の言葉
第2章 経営

将棋の升田幸三さんに
こう言われた。
「お前のとこは”歩”を
うまく使っているな」

 将棋を趣味としていた宗一郎。腕前は縁台将棋レベルだったが、
名人位に輝いたこともある升田幸三がホンダの研究所にやってき
たとき、最も働きの小さな駒である「歩」をうまく使っていると
褒められ、そのことを自慢にしていた。

 大きな会社も受付や守衛の応対一つで印象が大きく変わる。ま
た、「歩」は敵陣に到達すれば成って「と金」になり大きな働き
になる。

 経営も将棋も「歩」をうまく使うことができるのが名人である
ことは言うまでもない。

別冊宝島編集部 偏

2017年8月10日 (木)

【29】コネ採用

本田宗一郎 100の言葉
第2章 経営

人の紹介などで受験するのに
ロクなのはいない。

 

 1960年代にF1に参戦したホンダは、バイクや自動車が好
きな若者たちにとって憧れの企業となっていた。

 しかし会社の私物化を嫌った宗一郎は、いわゆる「コネ入社」
を認めなかった。実際に人から頼まれた学生を「推薦」して人事
担当者伝えるものの、試験の成績が悪ければ平気で落としたという。

「大体、能力のあるものはひとりで大手を振ってくる」

 宗一郎はそう言って、フェアな人材採用にこだわり、それがホ
ンダの強さとなった。

 

別冊宝島編集部 偏

2017年8月 9日 (水)

【28】通産省との闘争

本田宗一郎 100の言葉
第2章 経営

国民が幸福になるから
国が栄えるんだ。
私は私の幸福のために
全力をあげて
自動車屋をやりたいんだ。

 

 経営者・本田宗一郎の生涯は、官僚との闘いの歴史でもあった。
特に監督官庁であった通産省(当時)には徹底して反逆し続けた
ことで知られる。

1960(昭和35)年、特定産業振興臨時措置法案(特振法)
により、新規企業の自動車生産に制限をかけようとした当時の通
産省に、宗一郎は「国のために働けと言うなら順序が逆だ」と訴
えた。

「通産省がウチの株主になるのなら言うことを聞く」

 と啖呵を切った宗一郎。その後、特振法は廃案になった。

 

別冊宝島編集部 偏

2017年8月 8日 (火)

【27】カネと信用

本田宗一郎 100の言葉
第2章 経営

人間はカネと信用、両方欲しい。
しかしカネが欲しければ
まず信用を先に取ることが
本当だと思う。

 

「カネのために働くな。いい仕事をしろ」

 これは宗一郎が、鍛冶職人だった父・義平から教わった人生訓
だった。

 1950年代、倒産危機に見舞われたホンダは大量の在庫バイ
クを抱え苦しんでいたが、宗一郎は「在庫をすべて買い取るかわ
りにリベートを払え」という大企業からの提案をすべて一蹴した。

 本筋ではない対処法を受け入れて目先のカネを取ったとしても、
信用が落ちてやがては会社が潰れる。それが宗一郎の信念だった。

 

別冊宝島編集部 偏

2017年8月 7日 (月)

【26】真の合理主義者

本田宗一郎 100の言葉
第2章 経営

本当の人情が分からぬ人は
真の合理主義者にはなれない。

 

 ホンダが日本を代表する大企業に発展した1964(昭和39)
年、宗一郎は会社は公器であるという考えをもつゆえに、話し合
った上で、ホンダ創業時のパートナーでもあった実弟の弁二郎は
退社することになった。公私混同を嫌った宗一郎とはいえ「気の
毒なことをした」と振り返っている

 宗一郎はこうも語っている。
「そもそも割り切れないのが人生なんです。だったら、割り切れ
ないことをするのがいいんだな、とオレはつくづく思った。私は
自分の弱さを克服するため、合理主義に徹してきたんと思う」

 

別冊宝島編集部 偏

2017年8月 5日 (土)

【25】人に階級はない

本田宗一郎 100の言葉
第2章 経営

何より嫌いなのは
人間に階級をつけることだ。
ウチでは私を含め
全員が同じ社員だ。
身分の相違はひとつもない。

 

 ホンダには社長室や役員専用の個室がない。

「社長は役割にすぎない」という宗一郎の考えのもと、ホンダで
は1964(昭和39)年の時点で役員個室が撤廃された。当時
の大企業として極めて異例のスタイルである。

 宗一郎は地方に出張しホテルに宿泊する際、職業欄に「会社員」
と書いた。そして常々こう語っていた。

「部長、課長、社長も包丁、盲腸も同じだ。要するに符丁なんだ。
人間の価値とはまったく関係ない」 

 

別冊宝島編集部 偏

2017年8月 3日 (木)

【24】ええかげんな社長

本田宗一郎 100の言葉
第2章 経営

ウチではオレをはじめ
ええかげんなヤツが
社長になっている。
だからみんなには
よほどしっかりやってもらいたい。

 

 1973(昭和48)年に社長を退任して以降、河島喜好(2
代目)、久米是志(3代目)に受け継がれたホンダ社長。

 宗一郎は新社長と行動をともにするたびに、従業員や関係者の
前でこう挨拶し、笑いを取るとともに後任への信頼感を示してい
た。

「新社長は立派な男だから、みんなついていけ」と言うよりも、
よほどインパクトもあるし、聞く者たちもやる気を出す。こう
した言葉が計算ではなく、自然に出てくるのが宗一郎という人間
だった。

 

別冊宝島編集部 偏

2017年8月 2日 (水)

【23】企業の評価

 

本田宗一郎 100の言葉
第2章 経営

日本人の企業評価の基準は
資本金や利益率の
多少にのみ置かれがちだが
その会社がどういうかたちで
利益をあげているかを
検討すべきである。

 

 自動車業界が大きく成長した昭和の時代、宗一郎は各社の収益
モデルについて、これでいいのだろうかと自問自答していた。

 各社の収益は車やバイクを買った際のローンの利ざやに支えら
れている部分が大きかった。だが、宗一郎に言わせればこうだ。

「技術とアイデアで儲けないで金融操作で儲けている。またそう
いう会社が日本一流の企業としてチヤホヤされ自分でもうぬぼれ
ている」

 会社の評価はその規模と何の関係もないということだ。 

 

 
別冊宝島編集部 偏

2017年8月 1日 (火)

【22】課長の能力

本田宗一郎 100の言葉
第2章 経営

能力のない課長ほど
自分の部下を欲しがる。
自分の課をなくしても
ちゃんと仕事ができて
いくようにするのが
課長の目的でなきゃならん。

 

 企業経営においてもっとも重視しなければならないポストは、
現場を直接管理する課長クラスであると宗一郎は考えていた。

 だが機械と違って、人間のマメジメントは難しい。自分の部署
の繁栄を目指すタイプの人間は、たいてい視野が狭く、セクショ
ナリズムにはまりがちである。

「いっぺん据え付ければ動いてくれる機械と違って、人間は上か
ら下から、横から縦から、しっかりと見て評価を与えなければう
まく管理することはできない」

 

別冊宝島編集部 偏

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