行動

kyupinの日記 気が向けば更新 (精神科医のブログ)

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2018年8月

2018年8月30日 (木)

【65】銅像だけはつくるな

本田宗一郎 100の言葉
第3章 人生

オレが死んでも
お願いだから銅像だけは
つくらないでくれ

 宗一郎が嫌ったのは名経営者として運上人扱いされることだっ
た。また、ホンダが人気企業に成長しても、その名が権威に変質
しないよう、細心の注意を払っていた。

 1985(昭和60)年にホンダが南青山に本社ビルを建設し
た際、エントランス付近に円柱が設置されているのを見て、「円
柱は権威の象徴だ。人が見たらどう思うか」角ばったデザインに
変更させたこともある。

「本田という人がいた、というぐらいでいいんだ。現在だけを大
事にすればいい」

別冊宝島編集部 偏

2018年8月26日 (日)

【64】遠慮の意義

本田宗一郎 100の言葉
第3章 人生

お互いに遠慮をしあうところが
人間の付き合いの
初めであり終わりなんです。

 1981(昭和56)年、ホンダの工場が立ち並ぶ三重県鈴鹿
市に立ち寄った宗一郎は、商工会議所のビル屋上に掲げられた「
HONDA」の看板を見て、それを取り外してもらえないかと申
し入れた。

「地域社会で企業が威張っているような印象だけは避けたい。若
い連中が天狗になったり何も感じなくなったりしたらとんでもな
いことです」

 そして宗一郎は人間の「遠慮」について言及した。大企業の驕
りを自戒し続けた宗一郎らしいエピソードである。

別冊宝島編集部 偏

2018年8月25日 (土)

【63】得手に帆をあげて

本田宗一郎 100の言葉
第3章 人生

人生は「得手に帆をあげて」
生きるのが最上だ。

 宗一郎の著書のタイトルにもなっている「得手に帆をあげて」
は、好きなこと、得意なことを見つけその能力を伸ばし、また
それを仕事にして幸福に到達するという、まさに本田宗一郎の
生き方をひとことで表す言葉である。

 宗一郎は自分が好きなこと、あるいは自分が持つ才能や素質に
気づかないことは「一生の不幸」であるとも語る。

「得意なものは厳しく練磨しなければならない。甘やかしては向
上が止まる。創意と工夫を加えて研究することだ」

別冊宝島編集部 偏

2018年8月24日 (金)

【62】理解と実践

本田宗一郎 100の言葉
第3章 人生

理屈で理解することと
実践することの間には
深くて巨大な溝が存在する

 問題を解決するためには、理屈だけではなく現実に対処する力
が必要になる。

 宗一郎は理解と実践の間にある「深くて巨大な溝」についてこ
う述べている。

「この溝は、浮世のしがらみや、義理や人情や、習慣や不文律や、
暗黙の了解などによってできている。これを埋めなければ世の中
は進んでいかないのに、たいていの人は、それが分かっていなが
らいざスコップを持つと遠慮してしまうのだ」

 思わずはっとさせられる言葉である。

別冊宝島編集部 偏

2018年8月23日 (木)

【61】検事と弁護士と判事

本田宗一郎 100の言葉
第3章 人生

人間は、自分の中に
検事と弁護士と判事を
ひとりずつかかえて生きている。

 会社や組織のなかで、人間はしばしば自己弁護する。
 そうした自己弁護にも、前向きと後ろ向きの2種類があると宗
一郎は言う。

「ひとつは自分の一生をより大きく開花させていくための、大き
な自己主張的な自己弁護であり、あとひとつは、いわゆる弁解じ
みた、消極的な、かなしい自己弁護である」

 ビジネス社会に自己弁護はつきものだが、あくまで向上心に基
づく自己弁護を心がけたいものである。

別冊宝島編集部 偏

2018年8月22日 (水)

【60】苦労の本質

本田宗一郎 100の言葉
第3章 人生

自分の意思でやっている
ことの苦労なんて
そうでない苦労と比べれば
まだ軽いことだ。

 16歳で東京の「アート商会」における奉公生活を始めた宗一
郎。だが、最初にまかされた仕事は大好きな自動車やオートバイ
の修理ではなく、社長の子どものお守りだった。

 失望に故郷の念が重なり、宗一郎は早くもくじけそうになるが、
ある大雪の日、大忙しの工場で宗一郎はついに修理作業の手伝い
を許される。

「あの子守の日々の苦しみを思い返すと、その後の苦労なんてな
んでもなかった」

 やりたいことができる人生は幸せである。

別冊宝島編集部 偏

2018年8月21日 (火)

【59】運は練って待て

本田宗一郎 100の言葉
第3章 人生

「運は寝て待て」というが
私に言わせるとこれは
「運は練って待て」の誤りだと思う。

 他力で幸運を得ても、そうした幸運はたいてい永続しない。真
の幸福は自分自身の力で獲得するものであり、長い時間をかけて
積み上げていくものである。

 自分自身の努力を惜しまない生き方が本質であって、それを宗
一郎風に言うと「運を練る」ということになる。

「自分の力など微々たるものだと最初から決めてかかる人もいる
が、人間誰でも大差はない。自分の力量を鍛えもせずに、なぜ放
棄するのか」

 勇気の出る言葉である。

別冊宝島編集部 偏

2018年8月19日 (日)

【58】過去は排気ガス

本田宗一郎 100の言葉
第3章 人生

過去というものは何かといえば
人生の排気ガスだ。
どんどん捨て去らなければならない。

 経験したことや知識として習得したことを捨て去るのは難しい
ことである。

 宗一郎は、過去にとらわれるあまりに未来の可能性に対して盲
目になるという、人間の宿命的なリスクを指摘した。

「経験とは何かといえば、ちょうど『真理』という名の料理をつ
くる材料のようなものである。材料が良くても、いくら豊富でも、
それが料理の良し悪しになりはしない。問題は料理人の技術だ」

 技術者・宗一郎のならではの言葉である。

別冊宝島編集部 偏

2018年8月18日 (土)

【57】人生の階段

本田宗一郎 100の言葉
第3章 人生

人生における夢とか
目的といったものは最上段のない
終わりなき階段である。

 ホンダのコーポレートスローガンである「ザ・パワー・オブ・
ドリームス」(夢の力)。1949(昭和24)年に初めてオー
トバイの試作車が完成したとき、宗一郎は仲間たちとドブロクで
乾杯した。

「やっと完成したが、日本の技術はまだ世界に贈れている。技術
革新をしなくては」

 すると社員の誰かが言った。
「社長は大変な夢を見ているようですね」

 宗一郎はこう答えた。
「そうだ。私はいつでも夢を見続けようと思っている」

 こうしてバイクは「ドリーム号」と名付けられた。

別冊宝島編集部 偏

2018年8月17日 (金)

【56】いたずらの効用

本田宗一郎 100の言葉
第3章 人生

いたずらには子どもの個性の芽が
いっぱいひそんでいる。

 宗一郎の少年時代はひたすら「いたずら」に明け暮れる毎日だ
った。

 スイカや柿を盗んでは食べ、職員室の金魚にエナメルを塗る。
理科の実験前に磁石の磁力を抜いて、先生の実験失敗を楽しむ。
正午を知らせる寺の鐘を早く撞いて、昼食の時間を早める……。

 悪童だった宗一郎も、おかげで個性を封殺されることなく、創
意工夫の才能を開花させた。

「言うことを聞くおとなしい子」のは育ってほしくないというの
が宗一郎の持論である。

別冊宝島編集部 偏

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