行動

kyupinの日記 気が向けば更新 (精神科医のブログ)

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2018年12月

2018年12月22日 (土)

【99】日本の石組み

本田宗一郎 100の言葉
第4章 生きる

西洋の庭なら石をまるごと見せるが
日本では7分まで土に埋めてしまう。
そして見えないところを想像させる。
それが日本の良さです。

 新宿区西落合にあった本田宗一郎の自宅には、大きな庭のなか
に人工の川があって、そこに鮎が飼育されていた。

 毎年夏になると、宗一郎は鮎釣りパーティーを開催し、客人た
ちをもてなすことで有名だった。

 その庭に配置された石は、半分以上が土のなかに隠れていた。
宗一郎はその石についてこう語っている。

「見える部分のかげに、どれだけ多くの見えない部分があるか、
会社の連中についても、同じことを想像するんです」

別冊宝島編集部 偏

2018年12月15日 (土)

【98】真の健康法

本田宗一郎 100の言葉
第4章 生きる

病気になっても動きながら治すのが
ほんとの治療だ。
入院は完全な病人にするだけだ。

 宗一郎の健康法は明快で、「動いていることが健康法」という
ものだった。

 歯医者に行っても開口一番こんな具合だ。

「痛いのはこっちだし、金払うのもこっちだ。先生、オレの言う
こと聞いてくれ。セラミックの歯をこういうネジコミで作ったら
……」

 健康な肉体は前向きな精神によって作られるという信条である。
喜寿(77歳)の祝いを計画したホンダの社員たちにはこう一喝
してみせた。

「オレを年寄り扱いするな!」

別冊宝島編集部 偏

2018年12月11日 (火)

【97】社葬はするな

本田宗一郎 100の言葉
第4章 生きる

私は交通業者だ。
死んだからといって
大勢集めて人さまの
交通の邪魔をするな。

 1991(平成3)年、84歳で死去した本田宗一郎の社葬は
行なわれなかった。

 日本を代表する経営者としては異例の対応であったが、それは
生前、大げさな社葬で渋滞を起こすようなことはするなと宗一郎
自身が語っていたからである。いかにも宗一郎らしい「遺言」で
あった。

 もっとも、「オヤジ」を慕う人々の強い要請によって、後日ホ
ンダ本社で「お礼の会」が開かれ、多くの従業員たちが創業者と
の在りし日々を語り合った。

別冊宝島編集部 偏

2018年12月 8日 (土)

【96】文化人の条件

本田宗一郎 100の言葉
第4章 生きる

文化人にいちばん大切なものは
人間性があること
思想がしっかりしていることだ。

 たとえ絵や歌や文章がうまくても、そのことがイコール文化人
ではない。

 それは広く世の中に対する貢献度によって決められるべきであ
り、宗一郎は職人と文化人の差異を人間性と思想の有無に置いた。

「過去においては搾取するだけの経営者も多くいたが、少なくと
も僕は便利なものを出して、社会事業の一端を担っているという
気でいる。そういう意味で、僕は文化人であり、うちの従業員も
すべて文化人だと思いたい」

別冊宝島編集部 偏

2018年12月 2日 (日)

【95】政治的解決

本田宗一郎 100の言葉
第4章 生きる

世の中には政治的解決と
いうのが大好きな人がいる。
何かコトが起きると
だれそれさんが顔が広いから
彼に頼んだほうがいいという。
僕はこういうやり方は嫌いだ。

 たくさんの名刺を持っている、あるいは名刺にいくつもの肩書
きを誇らしげに書き込んでいる人がいる。しかし、技術者として
ひとつのことに打ち込んできた宗一郎は、そういった人間をあま
り信用しなかった。

「政治的解決の通用する世界もあるかもしれないが、こと技術に
関しては政治的解決はまずいことこの上もない。解決したように
みえても、それはうわべだけである」

 政治力で物事を突破しようとするのは本意ではない、というこ
とである。

別冊宝島編集部 偏

2018年12月 1日 (土)

【94】シャガールとの対話

本田宗一郎 100の言葉
第4章 生きる

民衆の犠牲のうえに
事を成した人物は
英雄とはいえない。

 宗一郎は、西郷隆盛についてその偉大さとは別に「どういう事
情があったにせよ、万を数える貴重な青年の命を道連れにした」
として英雄視することに疑問を呈している。

 人生は最後までいかないと、それが成功だったか失敗だったか
は分からない。50代半ばのとき、日本経済新聞の「私の履歴書」
に登場した宗一郎は最後にこう書く。

「人間の一生も功と罪とで評価するべきで、私が死んでから受け
る評価が、ほんとうの『私の履歴書』であろう

別冊宝島編集部 偏

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